2015年9月28日月曜日

カメはいかがですかーネイチャーセミナー12

 ハ虫類への関心が高いことから,カメを取り上げてみました。
レポーターは5年次生の黒崎盛和さん。
自宅でカメを飼育し,最近産卵もあり経過観察中です。
カメに対するイメージを導入に,体験に基づいた話が進みます。
カメの魅力はどこにあるのか。
甲羅をもった姿がそのひとつでしょう。
日本大学生物資源科学部博物館所蔵
カメの甲羅は中央に背骨があり肋骨が広がって接触した板状の骨が基本です。
そして,四肢は肋骨に覆われた甲羅の中から伸びます。
多くの四足動物の腕は肩甲骨に付いて,肋骨の外にあります。
従って,カメは腕を動かす筋の付きかたも異なります。
長い進化の中でスローと頑丈を貫いてきた,
カメの偉大さを満喫するセミナーでした。

2015年9月27日日曜日

秋の千駄堀ー野外学習

 雨が心配されましたが,参加者30名で秋の千駄堀を歩きました。
今回の主役は「ジョロウグモ」。あちこちで目につきます。
大きいクモと小さいクモが一緒にいることが多い。小さいのは雄。
命がけのラブ・シーンなのです。
ジョロウグモ科 ジョロウグモ Nephila clavata
パークセンターでおそるおそる触っているのは....
側面の目玉模様と後のアンテナ。大食漢です。
「セスジスズメ」の幼虫。成虫は「ガ(蛾)」ですがどんな姿でしょう。
スズメガ科 セスジスズメ Theretra oldenlandiae
今度は何かな?
「アケビコノハ」の幼虫です。
これも大型の蛾になります。成虫の擬態はなかなか素晴らしい。(検索してみてください)
ヤガ科 アケビコノハ Eudocima tyrannus
野鳥観察コーナーでは「カワセミ」が見つかりました。
(良い写真を提供してください)
観察舎の解説員の方々のご配慮で,今回初めて湿地の観察ができました。
木道に沿って奥に入ります。
ヨシとガマの群落に多種のタデ科植物やハンノキ等の湿生樹木が観察されました。
時間と人数を限れば学習プログラムに入れることができそうです。
千駄堀の台地にある縄文時代の竪穴住居に入ります。
中央の「炉(ろ)」(石組み炉)でいぶされる煙は無意味ではない。
思ったより広い。30人全員収容。
解説を聞き当時の生活に思いをはせる。
博物館見学は時間の都合から自由とし,まとめの会のあと解散しました。

2015年9月26日土曜日

幼虫が有名ですがーアリジゴク

今日は衛生士専門学校の「戴帽式」でした。最も大切な行事です。
大きな節目を迎えられ,これからの成長が期待されます。
式の後,玄関ホールで写真を撮りなごやかに談笑する姿がありました。
校舎の壁にひらっと貼付いた昆虫を見つけました。
腹部より大きな透き通った羽。
細長い触角。緑に輝く眼。
腹部の段々の模様。羽にはシミのような褐色の斑紋があります。
海老原智康先生(総合診断学講座)が
「ホシウスバカゲロウ」と同定しました。
Paraglenurus japonicus
アミメカゲロウ目ウスバカゲロウ科
幼虫は「アリジゴク」と呼ばれる独特の形をしています。
千駄堀の野外実習で東屋の軒下などで目にする「アリジゴク」。
しかし,ホシウスバカゲロウの幼虫はすり鉢形の巣を作りません。
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アリジゴクの世界はまだ分かっていないことが多いようです。
調べてみたら面白いかも。

2015年8月22日土曜日

日本列島の裂け目ーフォッサマグナをのぞく

 地質関係の学会が新潟県糸魚川(いといがわ)市で開催されました。糸魚川といえば「フォッサマグナ」・「翡翠(ひすい)」・「塩の道」が三題噺(ばなし)のように思い浮かびます。現地で実感することを楽しみにしていました。
糸魚川駅から大糸線に乗ります。大正時代のレンガ駅舎の一部が保存されています。
大糸線「根知(ねち)」駅下車。夏山に除雪車が映えます。
国道148号線沿いに入口がありました。根知川沿いのフォッサマグナ・パークを目指し緩い傾斜を登ります。
山道は整備され,案内板もあります。雨上がりで遠景は望めませんでした。
15分ほどで山道を登り切ったところにフォッサマグナFossa Magna(大きな溝)の西縁である「糸魚川―静岡構造線」が現れました。思わず深呼吸をしました。右手を根知川が流れます。
構造線が観察できるように人工的に切り開いた場所です。
背中側から足下を断層が通り,根知川に抜けて行きます。
西側は4億年前の地層で東側は1,600万年前の地層です(それぞれ変ハンレイ岩,安山岩と表示されています)。境界は幅1mほどの断層破砕帯があり不明瞭です(右写真は拡大)。断層の深さは石油採掘調査のデータ等から6,000m以上と考えられています。
一方,西と東の文化にもこの境界が反映しているようです。
現地案内板から
フォッサマグナは日本列島が形を現す時にできた大きな溝で当時は海でした。活発な火山活動や地殻変動によって海は埋められ現在の地形になりました。
溝の東側の縁は柏崎―千葉構造線,新発田―小出構造線によって区切られると考えられていますが,研究が進められています。
フォッサマグナはユーラシアプレートと北アメリカプレートという大きな地殻の板がぶつかり合ったところで,ヨーロッパとアメリカの境界にも当たります。
当時(1,400万年前)の海底火山活動を示すのが,崖に現れた俵を積んだような「枕状(まくらじょう)溶岩」です。
海底に流れ出した溶岩がチューブ状に冷やされてできた独特の形です。
案内板に説明がありました。
 日本最大の枕状溶岩を観察できます。矢印付近が中心で直径が12mに及び,地面近くでは角ばった柱状節理が放射状に走ります。(落石防御の鉄の支柱が視界を狭くしています)
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 フォッサマグナを発見・命名したのはナウマンゾウに名を残すドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンです。1875-85年に滞在したナウマンは日本の地質学研究の基礎をつくったといわれます。
糸魚川市内のフォッサマグナ ミュージアムには彼が書いた地図や調査で使用した道具等が展示されています。

2015年8月17日月曜日

ソウギョ(Grass Carp)と野尻湖ー生態系をのぞく

 お盆明け,野尻湖発掘調査団・哺乳類グループとして化石の調査・記載をしていました。
昨年3月,この付近は湖面が低下し第20次野尻湖発掘の現場でした。
今は観光客や釣り客でにぎわっています。
不思議なことに,湖畔で水草を見ることはありません。
野尻湖ナウマンゾウ博物館にソウギョ(草魚)が2頭,運び込まれていました。
体長は1m近くあり,体重は10kgを越える大物です(内臓は調査のため摘出)。
水草が見られない原因はこのソウギョです。
ソウギョCtenopharyngodon idellusは中国原産のコイ科の大型淡水魚です。
上下顎には歯がありませんが,のどの奥に咽頭歯を持っています。
ソウギョは毎日自分の体重と同じ量の水草を食べるといわれています。
 1970年代,生活排水が増加し湖は富栄養化しました。水草は繁茂して船にからみ付いたり悪臭の原因になりました。対策として,1978年5,000匹のソウギョを放流しました。
3年も経つとで水草は食べ尽くされ,産卵や住む場所を失った魚や小動物たちが消えました。1984年頃にはブラックバスやブルーギルが入り込み,ワカサギ等が減少しました。1988年,プランクトンの大発生による「淡水赤潮」に見舞われました。野尻湖の生態系は大きく変化していました。
(展示写真)
地元の人たちは野尻湖の自然を取り戻すために立上がりました。
野尻湖水草復元研究会がつくられ,博物館や小学校も活動を始めました。
人間が柵で保護地域を作り水草を守ります。
(展示写真)
ソウギョが侵入するとあっという間に草がなくなります。
用心深いため捕獲はなかなか難しく,2人がかりになることも。
(展示写真)
水草の回復には時間がかかります。地下茎からヒメガマが出てきた様子。
水中にもケージを置いて水草を守ります。小さなエビ等に食べられてしまうことも。
水草復元研究会から
ホシツリモ Nitellopsis obtusa(車軸藻類)という大変貴重な水草も絶滅しましたが,大阪医大に保存(1974年)されていることを知り,1995年から復元に取組んでいます。
ソウギョの放流から37年。自然を取り戻すことはこんなにも大変なことなのです。
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ソウギョの鱗(うろこ)とその拡大 。
骨鱗(硬骨魚の鱗)のうち,突起のある「櫛鱗(しつりん)」であることが分かります。