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2024年9月13日金曜日

風と光のモニュメントー和光国際高校

厳しい残暑の中、埼玉県立和光国際高校に伺いました。

 2008年に「総合的な学習の時間(理科)」授業を依頼されてから毎年来ているにもかかわらず、校門すぐのモニュメントに初めて気がつきました。当時の校長の三澤善道氏にお聞きしたところ、創立20周年を記念して2006年に設置されたとのこと。デザインは全校から公募し生徒会で決めたそうです。


 作品名は「風と光のモニュメント」で頭部が回転し風力と太陽光で発電しています。発電表示の窓があり、3面に本校のモットーである"Read","See","Think"が記されています。


自然エネルギーの電力で照明や装飾ランプが点灯するのは素敵です。


・「仕様」 がわかりました。(協同組合「プロード」のHPから)

  ・風力発電 15W/45V-0.192A  1基

  ・太陽電池  40W  1枚

  ・ライトアップ照明 白色LED 72個

  ・水滴部照明用 3色LED 44個

  ・文字用光ファイバー 3色LED 11個



2017年5月14日日曜日

「虫歯様」に会うー檜枝岐(ひのえまた)村

 ゴールデン・ウィーク明けの13・14日,福島県南会津郡に行ってきました。
南会津町から檜枝岐村へ向かう途中,伊南川の「屏風岩(びょうぶいわ)」に寄りました。
急流にそそり立つ白い岩肌に圧倒されます。
学部2年次に組織学でお世話になる非常勤講師(向かって右から:新美寿英先生,山本仁先生,平山勝憲先生)3人の先生にも大きさの比較になっていただきました。
檜枝岐村に入りました。「六地蔵」は秘境と呼ばれたこの地域の厳しい生活を物語っています。
村の2015年の人口は614人,村の約98%を林野が占め日本一人口密度の低い山村です。村役場の標高は939m,平均気温は7.7°C、平均降水量は1,600mm以上、最深積雪量は例年200cm前後で多い年は300cmを超えることもある豪雪地帯です。県内で唯一コメが作れない高冷地です。
かつてのメイン・ストリート沿いの町並みです。
電柱が見えますので1981年の只見川発電所完成以後の写真と思われます。
壁土がないために建物は板張りです。
通り沿いにはお墓が並びます。「星」「平野」「橘」の姓以外は見当たりません。
通りの一角に「虫歯様」と記された掲示板を見つけました。
お札を下げる木(右の高い木)を地元の方に教えていただきました。
今でも訪れる人は少なくないと聞きました。
 2016年1月の「檜枝岐村人口ビジョン」によると村には診療所(内科・小児科)が1つあり医師が1名,歯科医はいないとのことです。
「虫歯様」は現役なのです。
これは何だかわかりますか。
ジェラートですが。
トッピングは「ハコネサンショウウオ」(両生類)です。
貴重な地場産業であったサンショウウオ漁の保存を兼ねているとのこと。
生息環境の沢は大事に守られています。
カフェの二階は尾瀬の保護に尽力した植物学者・登山家「武田久吉」(1883-1972)の資料室になっています。緻密な調査ノートやカメラ,顕微鏡も展示されています。
尾瀬を代表する東北最高峰の「燧ケ岳」(ひうちがたけ:2,356m)は檜枝岐村にあります。
村の産業は尾瀬国立公園,温泉,檜枝岐歌舞伎を中心とした「観光業」の割合が突出しています。(林業が少ないことが意外です)
公衆温泉「燧の湯」から雪の残る舟岐(ふなまた)川を望む。

2016年7月31日日曜日

鯵(アジ)釣りー東京湾の夏

 梅雨が上がり夏本番,しかし,不安定な天気が続きます。
東京湾のアジ釣りに誘われました。春のシロギス釣りに続いて2度目の海です。
今日の出発は千葉県浦安市猫実です。東西線の浦安橋のたもとに釣り船が出港を待ちます。
この辺りは明治時代(1877年)に蒸気船の発着場がつくられ,昭和時代(1944年)まで東京方面への船の定期便があったため,「蒸気河岸」と呼ばれていたそうです。
浦安橋の開通(1942年)で東京市営バスが通るようになりました。
釣り船屋は「船宿・吉野家」さん。
山本周五郎の小説「青べか物語」の舞台になった”船宿・千本”でした。
売店に立っていたのは4代目・吉野眞太郎さん。
壁にかかっていた写真は「脚立(きゃたつ)釣り」という漁法でした。
遠浅の東京湾で船影に敏感な「アオギス」を獲ったそうです。
浅瀬は埋立てられ汽水域が減少し,アオギスは1962年を最後に東京湾から消えました。
アクアラインを越え,1時間ほどで最初の漁場に到着しました。
午後は天気が崩れるとの予報ですが,今は快晴です。
 仕掛けは金属網のカゴです。この中にコマセ(桶の中で解凍する)と呼ぶ小型のエビ(オキアミなど)を詰めます。カゴの下におもりと釣り針が2本付いています。
今回はイソメではなく,赤く着色したイカを針につけました。
海中でカゴからコマセが撒かれ,寄ってきたアジが赤いイカを口に入れる仕組みです。
おもりが海底に着いて,2mほど釣り糸を巻き上げた深さがアジのかかる水深だそうです。引き上げたり投げ入れたりを繰り返しながら漁を楽しみます。
誘っていただいた平山勝憲先生(左奥)(松戸歯学部解剖学2・非常勤講師),平山雄三先生(東京歯科大・研究員),平山友彦先生(右手前)(松戸歯学部生物学・研究員)には,釣りの指導もしていただきました。
カモメも寄ってきます。のんびりした気分になります。
昼近くから雨雲が発生し,時折激しい雨に見舞われました。
小降りになると再開です。2本の針にアジ(マアジ)がかかりました。大きな収穫です。
水深の浅いところではサバ(マサバ)もかかりますが,夏のサバは味が落ちるうえに痛み易いとのことで放すことにしました。
隣の山本仁先生(東京歯科大教授・組織学)も同じようなテンポで釣上げていました。
15時近くに帰路につきます。船から眺める東京都心。
発達した積乱雲の下面にはゲリラ豪雨を思わせるような黒い帯が見えます。
無事に”蒸気河岸”に戻りました。
同乗の皆さん,お世話になりました。
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今日の収穫。
上:マサバ スズキ目サバ科 Scomber japonicus 1尾だけ持帰り
下:マアジ スズキ目アジ科 Trachurus japonicus 20尾(ご近所にも)
「なめろう」(味噌・ネギ・大葉・ショウガ)と焼き魚でいただきました。

2016年3月27日日曜日

被災地を訪ねるー福島県久之浜

 3月27日,日本解剖学会の「東日本大震災の被災地を訪ねる」ツアーに参加しました。
学会開催地である福島県郡山市の
「ビックパレットふくしま」を30数人を乗せたバスが出発します。
向かう先はいわき市久之浜(ひさのはま)。
モニターには2011年3月11日の震災直後からの惨状が映し出されました。
亡くなった方68名。700戸近くが浸水・倒壊・火災の被害にあわれました。
郡山から磐越自動車道を1時間半ほどでいわき市の北端,久之浜に着きます。
久之浜は太平洋を望むおだやかな街並に見えます。
(震災前の久之浜:海のきわまで家屋が建ち並ぶ)
語り部の阿部忠直さんが被災された当時の様子を話され,
その後の町の歩みも説明されました。
あれから5年が経っています。
海側は広大な造成地になり人々を待ちますが,水道等のライフラインの整備はこれからとのこと。かつての2倍以上の高さをもつ防潮堤と,隣接する防災緑地の工事が進められています。
その中に小さな神社が建っています。秋義(あきば)神社。
あの津波に飲込まれながらも奇跡的に残り,
復興工事計画では撤去されるはずが地域の皆さんの声で現在もここにあります。
海を望むことはできませんが,大きなモニュメントです。
福島第一原発4号機:新聞写真から
久之浜は地震・津波・火災で県内でも最も大きな被害を出しました。
さらに,福島第一原発(北に30キロ)の事故によりいわき市で唯一集団避難をした地域です。その後も漁業ができなくなり風評被害にも遭うという,この大震災の全ての困難を背負った場所のように思えます。
(久之浜漁港の激しい損壊と現在の様子)
高級魚の出荷で有名だった久之浜漁港も大きな被害を受けました。
停泊している漁船の乗組員は当時,原発が波に飲まれるのを沖から目撃したそうです。
一帯は80cmほど地面が下がり,かつての岸壁が堤防のように見えます。
(このような地盤沈下は南の四倉港でも観察されました。)
(工事中の防潮堤と防災緑地:久之浜)
東日本大震災は終わっていない。ほとんど知られていない現実がありました。
被災地,被災者の困難は計り知れません。
一日も早い復興を祈ります。

2015年8月17日月曜日

ソウギョ(Grass Carp)と野尻湖ー生態系をのぞく

 お盆明け,野尻湖発掘調査団・哺乳類グループとして化石の調査・記載をしていました。
昨年3月,この付近は湖面が低下し第20次野尻湖発掘の現場でした。
今は観光客や釣り客でにぎわっています。
不思議なことに,湖畔で水草を見ることはありません。
野尻湖ナウマンゾウ博物館にソウギョ(草魚)が2頭,運び込まれていました。
体長は1m近くあり,体重は10kgを越える大物です(内臓は調査のため摘出)。
水草が見られない原因はこのソウギョです。
ソウギョCtenopharyngodon idellusは中国原産のコイ科の大型淡水魚です。
上下顎には歯がありませんが,のどの奥に咽頭歯を持っています。
ソウギョは毎日自分の体重と同じ量の水草を食べるといわれています。
 1970年代,生活排水が増加し湖は富栄養化しました。水草は繁茂して船にからみ付いたり悪臭の原因になりました。対策として,1978年5,000匹のソウギョを放流しました。
3年も経つとで水草は食べ尽くされ,産卵や住む場所を失った魚や小動物たちが消えました。1984年頃にはブラックバスやブルーギルが入り込み,ワカサギ等が減少しました。1988年,プランクトンの大発生による「淡水赤潮」に見舞われました。野尻湖の生態系は大きく変化していました。
(展示写真)
地元の人たちは野尻湖の自然を取り戻すために立上がりました。
野尻湖水草復元研究会がつくられ,博物館や小学校も活動を始めました。
人間が柵で保護地域を作り水草を守ります。
(展示写真)
ソウギョが侵入するとあっという間に草がなくなります。
用心深いため捕獲はなかなか難しく,2人がかりになることも。
(展示写真)
水草の回復には時間がかかります。地下茎からヒメガマが出てきた様子。
水中にもケージを置いて水草を守ります。小さなエビ等に食べられてしまうことも。
水草復元研究会から
ホシツリモ Nitellopsis obtusa(車軸藻類)という大変貴重な水草も絶滅しましたが,大阪医大に保存(1974年)されていることを知り,1995年から復元に取組んでいます。
ソウギョの放流から37年。自然を取り戻すことはこんなにも大変なことなのです。
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ソウギョの鱗(うろこ)とその拡大 。
骨鱗(硬骨魚の鱗)のうち,突起のある「櫛鱗(しつりん)」であることが分かります。