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2017年7月8日土曜日

阿武隈川の源流をのぞく

 福島県白河市は白河関で知られるように古くから「みちのくの玄関口」としての要衝でした。
1632年大改修した「小峰城」(日本100名城の一つ)の前御門と三重櫓(やぐら)。幕末の戊辰戦争(1868年)で焼失しましたが1991年に復元されました。
2011.03.11の東日本大震災で大きく崩れた石垣の修復も進んでいます。
使われているのは周辺で産出する「白河石」と呼ばれる石材です。
100万年程前の大規模噴火で噴出した「白河火砕流」が高温・高圧のもとで火山灰のガラス質が溶けた「溶結凝灰岩」です。
三重櫓から北をのぞむと市街に流れ込む「阿武隈川(あぶくまがわ)」が遠くの橋の下に見えます。
阿武隈川は隣接する西郷(にしごう)村の旭岳を始点として奥羽山脈と阿武隈山地に挟まれた中通り地域を北上し(赤いドット),宮城県の岩沼市付近で太平洋に流れ込む大河です。全長239kmは東北地方では北上川についで2番目,全国では6番目に長い川です。
白河から西へ遡ると山間部の源流域になります。西郷(にしごう)村に入ると「雪割橋」があります。川面からの高さが50m,深く刻まれた谷に足がすくみます。
下流側には「柱状節理」の大きな壁がみえます。溶岩が冷えて表面が収縮する時に形成される構造です。溶結凝灰岩の「白河石」に関係がありそうです。
「新甲子(かし)温泉」をさらに進んで旧道から渓流に下りてみます。
樹皮にキノコが固着している「ブナ」(ブナ科Fagus crenata )。枝にはたくさんの実がついていました。
「ヤマボウシ」 (ミズキ科Cornus kousa)の白い花(花弁ではなく総苞です)が涼しげです。
緑に茂る「ミズナラ」(ブナ科Quercus crispula)。
「フサザクラ」(フサザクラ科Euptelea polyandraの若い実。
貧弱な土壌の中で根は岩石を抱えるようにして樹木を支えます。
さらに上流の「甲子温泉」。渓流沿いに温泉があります。
沢に張り出した枝にとまる「ミソサザイ」(ミソザサイ科Troglodytes troglodytes。細かく動き,尾をピンと上げてよく響く声でさえずります。
堰堤を越えて滝のように流れ下る阿武隈川の源流。
沢沿いの登山道は所どころ岩の崩れで歩きにくくなります。
もろくなって崩落した石は大きな造岩鉱物が目視できる花崗(かこう)岩です。
途中に「温泉神社」が祀られていました。
林床にオレンジ色の提灯のようにたたずむ「クルマユリ」(ユリ科Lilium medeoloides )
ツキノワグマに注意の看板に出会い,手ぶらで来たので引き返すことに。
「キブシ」(キブシ科Stachyurus praecox)の実。日本固有種です。
源流の最も上流に架かる「甲子大橋」に迂回しました。
橋の海抜は1,004m, 199mの長さ。甲子トンネル(4,345m)の先は南会津,檜枝岐(ひのえまた)に続いています。
橋のほぼ中央から上流をのぞむ。深い谷がうっそうとした緑に守られるようにうねっていました。水源地はさらに奥の旭岳です。

2017年3月29日水曜日

軍艦島(端島)ー日本海を航海する

 1960年代前半,名前そのものの異形と大都会のような高層住宅が映る写真は小学生の脳に強く焼き付きました。25年近く前に長崎を訪れた時,軍艦島(端島:はしま)はすでに無人島になり船も通わないと知らされ,記憶を確かめることを断念しました。
2015年に端島はユネスコに世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の一つとして登録され,限られた場所と時間で見学ができるようになりました。
長崎港には造船所と関連施設が並び,現代の軍艦も停泊しています。
端島は港から19km西南の海上に浮かんでいます。
上陸できるのは運行の7割程度ととのことでしたが,午前中の雨にもかかわらず”ドルフィン桟橋”に船を着けることができました。
崩れながらもその姿をとどめる端島小中学校(右奥)や屋上幼稚園のあった社宅(左手前)からは”廃墟”とは別のものが伝わってきます。
正面からの端島小中学校。4階まで小学校,5・7階が中学校,6階に講堂,図書館,音楽室がありました。最盛期には東京都の9倍以上の人口密度で5,200人以上が生活していたこの島には元気な子供の声が響いていたことでしょう。
右は石炭を運ぶベルトコンベアーの支柱の跡。
見学コース案内のパンフレットから。
東西160m,南北480m,周囲1.2kmの要塞のような島の桟橋側半分(図の下側)は鉱山関係施設が占め,東シナ海側半分に住宅ビルを配して防波堤の役目を持たせていたことがわかります。
東シナ海からの過酷な波と風の中でも保存されてきた社宅ビル群は,当時の設計と施工技術の高さを示すものでしょう。
右端の白い灯台(廃坑後に設置)の後ろには全島に水を供給する貯水槽があります。左1/3ほどの高い位置に端島神社の祠(ほこら)がポツンと残っています。
島の南西部,船首に当たる部分にある25mプール。1958年に作られ,海水を使っていました。
「イソヒヨドリ」:ツグミ科 Monticola solitarius
青い頭部とオレンジ色の胸部。
仕上工場(炭鉱で使う機械を修理・調整)跡の窓で。
 赤レンガの総合事務所跡。共同浴場がありましたが,海面下1,000m,気温30℃,湿度95%の採掘場から戻った作業員は服を脱ぐことができず,そのまま入ったそうです。
階段が残る第二竪坑(たてこう)への桟橋跡(右)。海底炭鉱への主要な入り口です。
見学用パンフレットから。
第二竪坑は主力坑道で,600mを一気に降り,さらに海面下1,000mまで急勾配で下ります。
端島は石炭を含む地層が海面にわずかに頭を出した場所でした。
端島は6回の埋め立てを経て約3倍の大きさになり,建物を増やしながら現在の形に作り変えられました。本格的な採炭が始まる1891年から1974年1月に閉山するまで1,570トンの石炭が海底から掘出され,戦争をはさむ歴史の中で日本の産業を支えてきました。
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石炭は植物が埋没し,地下の熱や圧力で岩石になったものです。
古生代”石炭紀”(3億6千万年〜3億年前)の名前通り世界の主な炭田はこの時期にシダ植物の大森林をもとに作られました。
平朝彦「日本列島の誕生」岩波新書から改変。
 日本の炭田はもっと新しく,それは日本海の形成過程と関連付けられています。2,000万年前に日本列島はユーラシア大陸から別れ始め,その裂け目には河川や湖沼がありました。そこに植物が堆積し,地下深く沈み込んで熱と圧力を受けて石炭化しました。1,500万年ほど前から海水が浸入し,日本海は拡大していきます。その頃に堆積した岩石の地磁気の方向(矢印)は北を示さず,西南日本では時計回りに45°傾き,東北日本では反時計回りに25°傾いています。これを当時の位置に戻すと,九州地方は上図のように回転しながら北東よりに移動します。
Google Map より
 軍艦島(端島)は2,000万年かけて東シナ海を越え,時計回りに回転(青線から黄線へ)しながら南西方向へ現在の位置(黄色線)まで”航海”してきたと言えるでしょう。


2016年9月25日日曜日

野外学習・千駄堀ーマムシに出会う

雨続きの9月,千駄堀も心配でした。
雲は多かったものの,雨はありませんでした。
万貫田の奥,湧水付近で。
谷津の地形(台地と低地)の成り立ちを確認し,クモの団居(まどい)を観察しました。
自然観察園の湿地を見学。今回は昆虫担当・佐々木さんに案内していただきました。
季節の虫を選んでは触らせてくれます。
クモや昆虫の説明を聞いています。
学生(左の2人)が「ヘビが動いている」と指さしました。
その先にいたのはまだら模様の「マムシ」です。
ゆっくりと体をくねらせて進みます。
夜行性ですが,木道に響く足音などで出てきたのかも知れません。
間近で見れるように,佐々木さんに網で捕らえてもらいました。
体長は60cm以上,細めに見えましたが成獣個体です。
独特の粗いまだら模様の鱗で被われています。
千駄堀では25年ほど前に目撃して以来です。
観察舎に戻り,水槽に入りました。
脊索動物門 爬虫綱 有鱗目 クサリヘビ科 
マムシ属  
ニホンマムシ (一般に「マムシ」)
Gloydius blomhoffii 

赤外線センサーの「ピット器官」で小動物の体温を感知し,暗闇でも捕食できます。0.1°Cの温度差も識別すると言われ,正確な赤外線画像を見ている可能性があります。(青矢印は鼻孔)
上下の牙が,毒腺からの液を注入します。組織を溶かす「出血毒」が主で,処置が遅れると死に至ることも。
ハ虫類では珍しく胎生で子供を産みます。
パークセンターで千駄堀の地形や季節の動植物の展示をみて,レポートの準備。
縄文時代の竪穴式住居(貝の花遺跡から復元)で当時の生活を体験。
マムシと出会うという幸運に恵まれた野外学習になりました。
リピーター3名を入れて23名の参加でした。
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千駄堀のあちこちで「マムシ注意!」の札を見かけますが,目撃情報は年に1件ほどと聞いていました。マムシは猛毒を持ちますが小型のあまり動きの速くないヘビです。夜行性で目立たないことを考えると,実際の生息数は多いのかも知れません。