2017年3月30日木曜日

オポッサムの顎を調べるー解剖学会発表

 有袋類のオポッサム”ハイイロジネズミオポッサム (Monodelphis domestica)”はマウスとラットの間ほどの大きさですが,妊娠期間は14.5日と短く未熟な状態で生まれます。しかし,自力で母親の乳首にたどり着き,乳を飲まなければなりません。それに必要な体の部位は有胎盤類とは異なる発生過程をとると考えられます。今回は、顎の発達を形態的に追うことにしました。
生まれて間もない(2日目)親子です。
オポッサムは有袋類といってもカンガルーのような袋がありません。
生まれたばかりの新生仔の姿です。後ろの目盛りは1mmです。
前肢の発達を思わせるように、指には爪がついています。
新生仔のCTの画像です。前肢と顎の部分の骨化が進んでいます。
 生まれてから成獣になるまでのオポッサムを,動物センターに設置されているX線CT(リガク:μCT CosmoScan)で撮影し、変化を読み取ります。
 動物実験には厳密な審査が義務付けられます (承認番号AP09MD023, AP12MD015, AP14MD014)。

下顎骨では筋突起の発生が早く,顎関節をつくる関節突起は10日を過ぎて後方へ膨隆してきます。2週目近くなると関節突起の上方への発達が始まります。下顎窩がそれを受けますが、側頭骨頬骨突起と頬骨は5日過ぎに細い棒状に出現します。顎関節らしくなるのは25日目あたりですが、下顎頭の上面は弯凹していますし下顎窩にあたる窪みはありません。オポッサムの顎関節としての形態は40日を経過して観察されました。私たちの飼育下では40日頃から親から離れはじめ,60日頃から自分で飼料を食べるようになります。この間に顎関節の機能が完成されると思われます。
左矢印:関節後突起、右矢印:頬骨
 オポッサムの成獣の下顎窩は関節後突起が発達して深く、また関節面には頬骨の一部も含まれます。ラット等では側頭骨のみです。
ここまでのまとめを長崎大学で開催された日本解剖学会(3/27-30)で発表しました。
  爬虫類の発生の研究者や耳の進化を考えている研究者、腎臓の組織の研究者など多方面からの関心を得られ、うれしく思います。しかしまだまだ、残された問題が多くあります。

2017年3月29日水曜日

軍艦島(端島)ー日本海を航海する

 1960年代前半,名前そのものの異形と大都会のような高層住宅が映る写真は小学生の脳に強く焼き付きました。25年近く前に長崎を訪れた時,軍艦島(端島:はしま)はすでに無人島になり船も通わないと知らされ,記憶を確かめることを断念しました。
2015年に端島はユネスコに世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の一つとして登録され,限られた場所と時間で見学ができるようになりました。
長崎港には造船所と関連施設が並び,現代の軍艦も停泊しています。
端島は港から19km西南の海上に浮かんでいます。
上陸できるのは運行の7割程度ととのことでしたが,午前中の雨にもかかわらず”ドルフィン桟橋”に船を着けることができました。
崩れながらもその姿をとどめる端島小中学校(右奥)や屋上幼稚園のあった社宅(左手前)からは”廃墟”とは別のものが伝わってきます。
正面からの端島小中学校。4階まで小学校,5・7階が中学校,6階に講堂,図書館,音楽室がありました。最盛期には東京都の9倍以上の人口密度で5,200人以上が生活していたこの島には元気な子供の声が響いていたことでしょう。
右は石炭を運ぶベルトコンベアーの支柱の跡。
見学コース案内のパンフレットから。
東西160m,南北480m,周囲1.2kmの要塞のような島の桟橋側半分(図の下側)は鉱山関係施設が占め,東シナ海側半分に住宅ビルを配して防波堤の役目を持たせていたことがわかります。
東シナ海からの過酷な波と風の中でも保存されてきた社宅ビル群は,当時の設計と施工技術の高さを示すものでしょう。
右端の白い灯台(廃坑後に設置)の後ろには全島に水を供給する貯水槽があります。左1/3ほどの高い位置に端島神社の祠(ほこら)がポツンと残っています。
島の南西部,船首に当たる部分にある25mプール。1958年に作られ,海水を使っていました。
「イソヒヨドリ」:ツグミ科 Monticola solitarius
青い頭部とオレンジ色の胸部。
仕上工場(炭鉱で使う機械を修理・調整)跡の窓で。
 赤レンガの総合事務所跡。共同浴場がありましたが,海面下1,000m,気温30℃,湿度95%の採掘場から戻った作業員は服を脱ぐことができず,そのまま入ったそうです。
階段が残る第二竪坑(たてこう)への桟橋跡(右)。海底炭鉱への主要な入り口です。
見学用パンフレットから。
第二竪坑は主力坑道で,600mを一気に降り,さらに海面下1,000mまで急勾配で下ります。
端島は石炭を含む地層が海面にわずかに頭を出した場所でした。
端島は6回の埋め立てを経て約3倍の大きさになり,建物を増やしながら現在の形に作り変えられました。本格的な採炭が始まる1891年から1974年1月に閉山するまで1,570トンの石炭が海底から掘出され,戦争をはさむ歴史の中で日本の産業を支えてきました。
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石炭は植物が埋没し,地下の熱や圧力で岩石になったものです。
古生代”石炭紀”(3億6千万年〜3億年前)の名前通り世界の主な炭田はこの時期にシダ植物の大森林をもとに作られました。
平朝彦「日本列島の誕生」岩波新書から改変。
 日本の炭田はもっと新しく,それは日本海の形成過程と関連付けられています。2,000万年前に日本列島はユーラシア大陸から別れ始め,その裂け目には河川や湖沼がありました。そこに植物が堆積し,地下深く沈み込んで熱と圧力を受けて石炭化しました。1,500万年ほど前から海水が浸入し,日本海は拡大していきます。その頃に堆積した岩石の地磁気の方向(矢印)は北を示さず,西南日本では時計回りに45°傾き,東北日本では反時計回りに25°傾いています。これを当時の位置に戻すと,九州地方は上図のように回転しながら北東よりに移動します。
Google Map より
 軍艦島(端島)は2,000万年かけて東シナ海を越え,時計回りに回転(青線から黄線へ)しながら南西方向へ現在の位置(黄色線)まで”航海”してきたと言えるでしょう。


2017年2月17日金曜日

イノシシの頭蓋骨をつくるー生物学・自由発表

   今日(2/17)は学年最後の「総合試験」。
準備の結果がついてきますように。
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試験終了後、自由発表の時間をとりました。
選択科目「生命の文化誌」の舘山馨・中沼祐汰・鈴木健斗・松本和之君たちの発表です。
哺乳類の頭蓋骨の構造がテーマです。
イノシシの頭(楠瀬隆生先生が提供・指導)の皮を剥ぎ、肉を落とし、骨にするまでの過程を説明していきます。手を動かして初めてわかることが多いのです。
少しずつ約3ヶ月間。洗浄し脱脂して、作業中に分離した骨を接合していきます。
(発表スライドから)
若いイノシシの頭蓋骨の標本が完成です。前後長約26cmでした。
(発表スライドを一部改変)
成獣と比較すると大きさがかなり違います。
雑食を示す鈍頭歯で、歯式は哺乳類の基本歯式と同じです。犬歯(牙)は無根歯で伸び続けます。しかし、乳臼歯(m)が3本であるのに、代生歯である小臼歯(P)が4本になっています。
クラスの仲間は試験終了後にもかかわらず、熱心にプレゼンテーションを見つめます。
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補足しましょう。
上:i:乳切歯,c:乳犬歯,m:乳臼歯,
下:I:切歯,C:犬歯,P:小臼歯,M:大臼歯
歯の交換に注目します。
今回の標本は第一大臼歯(M1)が萌出しています。第一小臼歯(P1)は顎骨の中にあり、このまま永久歯として萌出します。したがって”一生歯性”です。
         (乳歯列と永久歯列の比較。黄色の線はm1-m3の幅を示す)
若い個体(上:Juvenile)は顎も歯列全体もかなり小さいのですが、3本の乳臼歯(先行歯)の近遠心径の総和(m1-m3)は、成獣(下:Adult)の代生歯の近遠心径の総和(P2-P4)より大きくなっています。特に第三乳臼歯は長いのが目立ちます。これは交換時の萌出空間を確保するしくみです。
 ヒトにも同様の現象があり、(乳犬歯+乳臼歯)の近遠心径は(犬歯+小臼歯)のそれよりも大きく、その差を”リーウェイ・スペース(leeway space)”と呼んでいます。
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発表後にクラスの仲間が書いてくれた感想は、好意的な評価がほとんどでした。
後日、乳歯と永久歯の関係について確認するためにもう一度集合しました。

2017年2月10日金曜日

ラスコーの壁画ー洞窟のミュージアム


試験の採点で疲れました。金曜日、上野の科学博物館はナイト・ミュージアム,21時まで。「世界遺産 ラスコー展~クロマニョン人が残した洞窟壁画~」に急ぎました。
(科博のHPから)
  ラスコー洞窟はスペインのアルタミラ洞窟と並んで有名です。私達の祖先”クロマニョン人”が残した壁画は300箇所にのぼります。

ラスコー洞窟はヴェゼール川を見下ろす丘の上で1940年に発見されました。
発見者のマルセル・ラヴィダさん(89歳)はご健在です。
壁画が描かれたのは2万年ほど前と考えられ、最寒のウルム氷期にあたります。ヨーロッパ北部の広い地域は氷に覆われ、日本列島も海面が低下してアジア大陸と地続きでした。
(クロマニョン1号:3万年前)
(ラスコー洞窟から20kmのクロマニョン洞窟から1868年に発見)
 クロマニョン人は,5万年ほど前にアフリカを出たホモ・サピエンス集団のうち4万年ほど前からヨーロッパで生活していた人達です。アジアに向かったグループが日本人の祖先を形成しました。
復元されたクロマニョン人は,当然のことですが,私達と変わるところがありません。
今回、壁画を見ながら狩猟社会での槍(やり)の重要性を実感しました。
彼らが狩りの対象としたり、あるいは襲われて命を落とした動物たち。
その他に小動物も食料とした生き物がいたはずですが、壁画に描かれているのは限られた動物です。
洞窟の全長は約200mで3つのギャラリーがあります。
左上が入り口でその延長に「牡牛の広間」があります(この案内図には記載がありません)。壁画のためだけの洞窟。必要だったのはなぜでしょう。
「牡牛の広間」の写真です。発見当時の驚きが想像されます。
ラスコーの洞窟は1963年に壁画の保護のために一般には閉鎖されました。
そして、精密な復元をした公開用の空間「ラスコー2」をつくり,更に現地以外での公開のためにデジタル技術を駆使した最新の空間「ラスコー3」を完成させました。
洞窟に入ったような感覚になります。ライトアップされた壁画は明るさが変化し,ブラックライトで線画が浮かび上がります。
牝牛は大きく質感豊かに描かれ、遠くを見ているようで急ぐところがありません。
案内板の説明が理解を助けます。足元のマス目の意味は解読されていません。
この絵ではウマやバイソンに槍が刺さっているのがわかります。本数は狩に参加した人数かな。馬の槍は下からですが,向きも意味がありそう。
重ねて描かれているのは奥行きでしょうか,時代が異なるのでしょうか。
トリ人間だけが写実的ではない。そして、トリ型の投槍器(とうそうき)?。ケサイの尻尾に6個の黒点。バイソンからは腸がはみ出ている。ミステリアスな壁画です。
「泳ぐシカ」と呼ばれる絵は見上げるような高い壁面で、首だけが水面に出ています。
川を泳ぐ絵なら低いところに描いても良さそうですが。
躍動感と鮮やかな彩色。濃淡による遠近感。季節変化を表す赤い体毛。
重量感のあるバイソンが動き出しそうです。
(前出とも,エリザベット・デネス氏による復元)
 母親が子供の顔にペイントしています。生活に余裕が感じられます。ヒトが人間となっていく。母はフランス,子はイタリアの遺跡から出土した人骨をもとに復元されました。
様々な装飾品,毛皮や衣服を作るための精巧な骨製の針,精緻な彫刻をほどこした投槍器がクロマニョン人の豊かさ、可能性を伝えていました。
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(ホモ・サピエンスの様々な個体に観察されたネアンデルタール人由来のDNAの割合)
ヨーロッパにはそれ以前から「ネアンデルタール人」が生活していました(上の標本は6万年前)。
この2つの「人間」の関係は論争のタネでした。
 私達(現代人)のゲノム(遺伝情報)にはネアンデルタール人からのゲノムが1~3%入っていることがわかってきました。各人が異なるDNA断片を持つので,受継いだものはもっと大きな割合になります。”滅びた”ネアンデルタール人は”消えた”のではないようです。
クロマニョン人の生活と芸術はどのように受継がれ発展したのでしょうか。
帰りの空は,ほぼ満月でした。