2016年5月18日水曜日

南オーストラリア博物館-アデレード大学歯学部

主な仕事場となる南オーストラリア博物館に向かいました。
オープン前の博物館入口。
哺乳類の学芸員にお会いするため裏にまわります。
雰囲気のある建物で博物館の事務所が並ぶ。
向かい側が、自然科学の研究室と標本の収蔵をする建物の入口。
整然と収納された頭蓋骨標本区画。有袋類だけでこの倍を占めています。
お世話になっているデビット・シュテンマー (David Stemmer) 氏。
何気なく置いてあるのは絶滅した「タスマニア・オオカミ」でした。
初めて触れた単孔類の頭蓋骨。
上はカモノハシ。下はハリモグラ。
今日は有袋類までたどり着けません。
昼休みにタウンゼント先生(青のセーター)の教室の論文抄読会に参加しました。
査読者の目で論文を読む訓練のようで、引用文献のスペルの間違いまで指摘します。左端は日本歯科大学から留学している竹澤康二郎先生。
博物館からの帰り道。
宿舎近くのグランドではサッカーやラグビーの練習をする子供や少女達のグループが走り回っていました。



2016年5月17日火曜日

オーストラリア大陸―アデレード大学

 初めてオーストラリアに入りました。
ストマトライトの海、カンガルーの草原。。。。
入国はブリスベンから。日本から約8時間。
アデレード空港に昼頃の到着。時差は夏時間が終わり30分だけ早くなります。
夏のような日差しに思わず目を細めます。
バス停に降りて目に入るアデレード大学(Univ. of Adelaide)。
ノーベル賞受賞者が5人、学生数25,000人を擁するオーストラリア第3の古い大学(1874年)です。
ここで学ばれた松戸歯学部の先生も少なくありません。
キャンパスの一部。傾斜地につくられ、塔を持つ建物が多数目につきます。
アデレード大学歯科病院。6Fからが歯学部になります。
タウンゼント(Grant Townsend)教授に今回の海外派遣をサポートしていただきました。
大学周辺は水や木々に囲まれた公園が点在します。
渓谷のようなリバー・トレンス。右側はアデレード動物園。
白い背中のカラスのような鳥。
*カササギフエガラス。Australian Magpie、
学名:Gymnorhina tibicen と判明しました。
フォッフォフォーと大きな声がそうかな。
宿舎のヤナギの様な木にに咲いている赤い花。
動物も植物もだんだんとなじみになっていくと思います。
宿舎わきのグランドからながめるアデレードの空

2016年4月24日日曜日

野外学習・千駄堀ー2016年度第1回

 第1回目は開始の9時頃まで雨でした。雨天決行です。
今年は公園中央口バス停前に集合です。
参加31名。30分前のバスで来た学生も。
まず,アリジゴク探し。傘の先で突つく姿もあり,前途多難か。
万貫田の湧水地点で台地と低地の説明を聞きます。
その後,2班に分かれて動物の観察です。
楠瀬先生から軟体動物のミスジマイマイのレクチャー。
変異や進化についてもふれます。
海老原先生から昆虫のレクチャー。もちろん実物に触ります。
撮影:嶽本美智
エサキモンキツノカメムシ
Sastragala esakii ツノカメムシ科
背中のハートとメスの子育てで有名。

10時からの自然生態園・観察会に参加。
定員を越えているために,ガイドの方が2名ついてくれました。
昆虫が専門の佐々木さん(左)。
貴重なイトトンボがいるらしい。
植物が専門の川端さん(傘を持った女性)。
説明を聞いてレポートのテーマを植物に決めた学生も。
移動中にサクラの樹皮で発見。
ヨコヅナサシガメ
Agriosphodrus dohrni サシガメ科
昆虫の体液を吸う肉食系。大陸からの帰化。

パークセンターで千駄堀の成り立ちや生き物の知識を仕入れます。
最後のポイント「縄文の森」では,復元された竪穴住居に31人全員が入りました。
当時の生活や自然環境の説明をガイドの方から受けました。
実習が終了する頃には晴れ間がのぞきます。
充実したレポート(ポスター)を楽しみにしています。
***********
大学の近くに残る緑地で学べることを幸いに思います。
ここから更に,自然の多様性や生態のしくみに関心を持ち,
守るべきものを考える一助になればと思います。

2016年3月27日日曜日

被災地を訪ねるー福島県久之浜

 3月27日,日本解剖学会の「東日本大震災の被災地を訪ねる」ツアーに参加しました。
学会開催地である福島県郡山市の
「ビックパレットふくしま」を30数人を乗せたバスが出発します。
向かう先はいわき市久之浜(ひさのはま)。
モニターには2011年3月11日の震災直後からの惨状が映し出されました。
亡くなった方68名。700戸近くが浸水・倒壊・火災の被害にあわれました。
郡山から磐越自動車道を1時間半ほどでいわき市の北端,久之浜に着きます。
久之浜は太平洋を望むおだやかな街並に見えます。
(震災前の久之浜:海のきわまで家屋が建ち並ぶ)
語り部の阿部忠直さんが被災された当時の様子を話され,
その後の町の歩みも説明されました。
あれから5年が経っています。
海側は広大な造成地になり人々を待ちますが,水道等のライフラインの整備はこれからとのこと。かつての2倍以上の高さをもつ防潮堤と,隣接する防災緑地の工事が進められています。
その中に小さな神社が建っています。秋義(あきば)神社。
あの津波に飲込まれながらも奇跡的に残り,
復興工事計画では撤去されるはずが地域の皆さんの声で現在もここにあります。
海を望むことはできませんが,大きなモニュメントです。
福島第一原発4号機:新聞写真から
久之浜は地震・津波・火災で県内でも最も大きな被害を出しました。
さらに,福島第一原発(北に30キロ)の事故によりいわき市で唯一集団避難をした地域です。その後も漁業ができなくなり風評被害にも遭うという,この大震災の全ての困難を背負った場所のように思えます。
(久之浜漁港の激しい損壊と現在の様子)
高級魚の出荷で有名だった久之浜漁港も大きな被害を受けました。
停泊している漁船の乗組員は当時,原発が波に飲まれるのを沖から目撃したそうです。
一帯は80cmほど地面が下がり,かつての岸壁が堤防のように見えます。
(このような地盤沈下は南の四倉港でも観察されました。)
(工事中の防潮堤と防災緑地:久之浜)
東日本大震災は終わっていない。ほとんど知られていない現実がありました。
被災地,被災者の困難は計り知れません。
一日も早い復興を祈ります。

2016年3月8日火曜日

冬知らずの花と種子

ひと月前のまだ冬の最中,大学近くの畦道では濃い黄色の花が目につきました。
朝は花が閉じています。3月が過ぎてもまだ咲いています。
フユシラズ(冬知らず)です。
Calendula arvensis
キク科のキンセンカの仲間です。
1本持ち帰って見ていると, 日中は花が開き,夕方には閉じてしまいます。
終わった花はオレンジに色付きます。
花の付け根にはイモムシのようなものがたくさん付いています。
ガク(萼)の内側で子房があった場所ですから,これは種子ですね。
それにしても,変わった形です。
*******************
フユシラズは寒さに強いところから付けられた名でしょう。
学名の Calendula はカレンダーのことで,花がひと月以上も咲いているところから付けられたそうです。