(科博のHPから) |
ラスコー洞窟はスペインのアルタミラ洞窟と並んで有名です。私達の祖先”クロマニョン人”が残した壁画は300箇所にのぼります。
ラスコー洞窟はヴェゼール川を見下ろす丘の上で1940年に発見されました。
発見者のマルセル・ラヴィダさん(89歳)はご健在です。
壁画が描かれたのは2万年ほど前と考えられ、最寒のウルム氷期にあたります。ヨーロッパ北部の広い地域は氷に覆われ、日本列島も海面が低下してアジア大陸と地続きでした。
(クロマニョン1号:3万年前) (ラスコー洞窟から20kmのクロマニョン洞窟から1868年に発見) |
クロマニョン人は,5万年ほど前にアフリカを出たホモ・サピエンス集団のうち4万年ほど前からヨーロッパで生活していた人達です。アジアに向かったグループが日本人の祖先を形成しました。
復元されたクロマニョン人は,当然のことですが,私達と変わるところがありません。
今回、壁画を見ながら狩猟社会での槍(やり)の重要性を実感しました。
今回、壁画を見ながら狩猟社会での槍(やり)の重要性を実感しました。
彼らが狩りの対象としたり、あるいは襲われて命を落とした動物たち。
その他に小動物も食料とした生き物がいたはずですが、壁画に描かれているのは限られた動物です。
洞窟の全長は約200mで3つのギャラリーがあります。
左上が入り口でその延長に「牡牛の広間」があります(この案内図には記載がありません)。壁画のためだけの洞窟。必要だったのはなぜでしょう。
「牡牛の広間」の写真です。発見当時の驚きが想像されます。
ラスコーの洞窟は1963年に壁画の保護のために一般には閉鎖されました。
そして、精密な復元をした公開用の空間「ラスコー2」をつくり,更に現地以外での公開のためにデジタル技術を駆使した最新の空間「ラスコー3」を完成させました。
洞窟に入ったような感覚になります。ライトアップされた壁画は明るさが変化し,ブラックライトで線画が浮かび上がります。
牝牛は大きく質感豊かに描かれ、遠くを見ているようで急ぐところがありません。
案内板の説明が理解を助けます。足元のマス目の意味は解読されていません。
案内板の説明が理解を助けます。足元のマス目の意味は解読されていません。
この絵ではウマやバイソンに槍が刺さっているのがわかります。本数は狩に参加した人数かな。馬の槍は下からですが,向きも意味がありそう。
重ねて描かれているのは奥行きでしょうか,時代が異なるのでしょうか。
トリ人間だけが写実的ではない。そして、トリ型の投槍器(とうそうき)?。ケサイの尻尾に6個の黒点。バイソンからは腸がはみ出ている。ミステリアスな壁画です。
「泳ぐシカ」と呼ばれる絵は見上げるような高い壁面で、首だけが水面に出ています。
川を泳ぐ絵なら低いところに描いても良さそうですが。
躍動感と鮮やかな彩色。濃淡による遠近感。季節変化を表す赤い体毛。
重量感のあるバイソンが動き出しそうです。
重量感のあるバイソンが動き出しそうです。
(前出とも,エリザベット・デネス氏による復元) |
母親が子供の顔にペイントしています。生活に余裕が感じられます。ヒトが人間となっていく。母はフランス,子はイタリアの遺跡から出土した人骨をもとに復元されました。
様々な装飾品,毛皮や衣服を作るための精巧な骨製の針,精緻な彫刻をほどこした投槍器がクロマニョン人の豊かさ、可能性を伝えていました。
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(ホモ・サピエンスの様々な個体に観察されたネアンデルタール人由来のDNAの割合) |
ヨーロッパにはそれ以前から「ネアンデルタール人」が生活していました(上の標本は6万年前)。
この2つの「人間」の関係は論争のタネでした。
私達(現代人)のゲノム(遺伝情報)にはネアンデルタール人からのゲノムが1~3%入っていることがわかってきました。各人が異なるDNA断片を持つので,受継いだものはもっと大きな割合になります。”滅びた”ネアンデルタール人は”消えた”のではないようです。
クロマニョン人の生活と芸術はどのように受継がれ発展したのでしょうか。
帰りの空は,ほぼ満月でした。
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